
コーヒー豆
2020年04月20日
インタビュー
ロクメイコーヒー 井田浩司 スペシャルティコーヒーから始まる幸せのサイクル
奈良県奈良市。観光客も多く行き交う近鉄奈良駅前と奈良市郊外に店舗を構える
<ROKUMEI COFFEE CO.>の代表であり、焙煎士の井田浩司さん。井田さんから、共に働くメンバー、さらにはお客さんや生産者に至るまで。互いの思いを共鳴させながら、コーヒーを軸にした輪が広がり続けています。
奈良のコーヒー文化は、
僕ら<ROKUMEI COFFEE CO.>がつくる
焙煎所とコーヒースタンドが併設されている<ROKUMEI COFFEE CO. TOMIO ROASTERY>。「お客さんに家庭で飲むコーヒーを楽しんでいただきたくて、ゆったりとコーヒー豆を選んでもらえる空間づくりを意識しています」。
ROKUMEI COFFEE CO. TOMIO ROASTERY|奈良市三碓7-29-1
―<ROKUMEI COFFEE CO.>の前身は、井田さんのお父さまが営んでいた喫茶店です。井田さんが焙煎士をめざしたきっかけは、そうした環境も関わっているのでしょうか。
父が喫茶店を開いたときは、いわゆる昔ながらの純喫茶で、サイフォンでコーヒーを淹れていたんです。自家焙煎はやっていなくて、コーヒー豆は仕入れたものを使っていました。それから何度か業態を変えていて、僕が手伝い始めた頃はセルフサービス式のコーヒーショップで、コーヒーも全自動のコーヒーマシンで淹れていました。
ありがたいことに常連のお客さんはいたのですが、新しいお客さんを呼びたくても、当時はうちと同じようなスタイルの競合店はどんどん増えていて、将来が見えなくなってしまったんですね。それで、うちの特徴になるものを打ち出そうと思って、2010年から自家焙煎を始めたんです。喫茶と並行して自家焙煎をやったら、売上が伸びるんじゃないかなと思ったんですよね。振り返ってみると、我ながらすごく単純な考えですけれど(笑)。
焙煎については、セミナーや焙煎士仲間との勉強会に参加して、徐々に確立させていった感じです。焙煎をやるようになってから3年ほど経ったころ、ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップに初めて参加したのですが、決勝に残ることができて。だけど、どんな焙煎が良しとされるのか、何を求められているのか、そのときは何も理解できていなかったんです。正解も分からずに出したものがたまたまいい評価をいただけたけれど、経験や知識が圧倒的に足りていないことを痛感しました。
<ROKUMEI COFFEE CO.>が勧めるペアリングとして、東京・富ヶ谷に本店を持つ<Minimal>の<Bean to Bar Chocolate>を取り扱っている。「コーヒーとチョコレート、フレーバーのあるもの同士のペアリングは、組み合わせによって新しい味わいが生まれるんです。『Bean to Bar Chocolate』は果実のような風味があって、コーヒーの味をいっそう引き立ててくれます」。
それまでの味づくりはどこか感覚的にやっていましたし、正直、味もぶれていたと思います。お客様の反応にも左右されて、マイナスの意見をもらったときには、そこばかりにフォーカスしてしまったり。今なら飲んでいただいたコーヒーの味がその方の好みにマッチしていなかっただけなんだと分かるのですが、当時は自分の軸を持てていなかったことで、品質をチェックするにしても、どこか自信がなかったんです。
―軸をつくるまでに、どんな過程を?
焙煎機の操作自体は、数値でコントロールできてしまうんです。うちで使っている焙煎機も完全にデジタルですし。では味づくりは何で左右されるかというと、僕はカッピングがいちばん重要だと思っているんです。カッピングができなければ、味の検証ができませんし、検証ができなければ、焙煎の改善もできませんから。
ハンドドリップだけにこだわらず、もっと手軽にコーヒーを楽しんでもらいたいという思いから、ドリップバッグやカフェベースといったオリジナル商品を充実させている。
当時もカッピングは勉強していましたが、それまで以上に極めたいと思うようになって。焙煎と同様、セミナーや勉強会に通って、いろいろな人と意見交換をしながら評価方法を理解していきました。ジャパン バリスタ チャンピオンシップのジャッジやカップ・オブ・エクセレンス(優れたコーヒーを決める品評会)の国際審査員もやらせてもらっているのですが、そうした経験によって自分のなかのストックが増えていきますし、評価軸が修正できたりもします。いろいろな味を知ることができたおかげで、めざしたい味がより明確になったと思います。
店内の壁には、コーヒーができるまでのプロセスとそれに関わる人が描かれたパネルが展示されている。「スペシャルティコーヒーは、品質の良いコーヒーをつくる生産者の方に還元し、お客さんにはおいしいコーヒーを提供することで豊かな時間を提供できる。僕らが橋渡し役となって、より大きな幸せのサイクルを生み出していきたいんです」。
―そうしてたどり着いた、<ROKUMEI COFFEE CO.>の味とは?
僕らはクリーンで雑味のない味を大切にしています。苦みや酸味、渋みは、コーヒーが絶対に持っている要素ですが、そこにほどよく甘さを補完して優しい飲み口にしたいと思っているんです。苦みなど、いわゆるコーヒーならではの特徴が引き立ちすぎると、飲むのがしんどくなったりする。そうではなく、1日に何杯でも飲めるような、日常的なコーヒーにしたいんです。
<TOMIO ROASTERY>では、常時10種類以上のコーヒーを取り揃えている。店内からは焙煎所の様子をうかがうこともできる。
今でも忘れられないのが、毎日のようにお店に寄ってくださるご近所のお客様からある日、「この店のコーヒーしか飲めへんねん」と、言われたこと。その方の日常生活のサイクルのなかに、うちのコーヒーが確実に存在しているのだと実感できて、それはすごく嬉しかったですね。
自由に試飲をしながらコーヒーを選ぶことができるので、新たな味わいとの出会いが広がる。
―井田さんは、奈良への思い入れも強いのでは?
どうでしょう。さほど意識したことはありませんが、<ROKUMEI COFFEE CO.>を立ち上げるときに、自分たちがここで商売をさせてもらうことによって、奈良という土地にとってもプラスになるようなお店にしたいとは思いました。そのためにも、これから僕らが際立つ存在にならなければ、と。
奈良だけではなくて、お客様やうちのお店で働いてくれるメンバーもそうですし、取引先の方、産地の方に至るまで、僕らは一人でも多くの人をハッピーにしたいんですよね。<ROKUMEI COFFEE CO.>がミッションとして掲げているのが「幸せの輪を広げる」。コーヒーというものをコアにして、その輪がどこまでも大きくなればと思っています。
お客さまに、生産者の方々に、スペシャルティコーヒーが幸せをもたらすから
近鉄奈良駅のほど近くにある<ROKUMEI COFFEE CO.NARA>。地元の人だけでなく、観光客が立ち寄ることも多い。
ROKUMEI COFFEE CO. NARA|奈良県奈良市西御門町31
―井田さんは焙煎士というプレイヤーでありながら、経営者としての意識も強くお持ちですが、それにはどのような背景があったのでしょうか。
残念がられたりもするのですが、今は僕自身が焙煎することはほとんどなくて、メンバーの焙煎士にまかせているんです。イベントへの出店のご依頼をいただくときなど、僕が焙煎したコーヒー豆を求められることもあるのですが、僕が焙煎しようと、ほかのメンバーが焙煎しようと、クオリティ的には一緒のものを提供していますから、<ROKUMEI COFFEE CO.>としてやらせていただきたいとお伝えしています。
オリジナル商品は奈良のおみやげとしても人気が高い。店内奥にある喫茶スペースの壁一面を覆うコーヒー豆が印象的。
先にも言ったように、僕はカッピングから焙煎の良しあしを紐解いていくのが技術だと考えているんですね。ですから、日頃からそれを欠かすことだけはありません。メンバーが焙煎したものを僕がカッピングして、それをフィードバックして、<ROKUMEI COFFEE CO.>の味を保ち続ける。焙煎自体はしなくても、技術は決して衰えていかないと思っています。
でも、実は僕、昔は何でも自分だけでやりたいタイプだったんですよ。焙煎から抽出まで、何もかも。そのまま職人としてやっていくという方法もあったかもしれませんが、自分一人でやっていては、幸せの輪を広げていくにはどうしても限りがある。ですから、今はチームでどうするかということを考えています。
奈良店から10分ほど歩いたところに奈良公園があり、コーヒーをテイクアウトして散策を楽しむ人も。
なぜならビジネスとしてコーヒーを扱っていく上で、産地の人びとが抱える課題は絶対に無視できなくなるから。コーヒー豆の産地は歴史をたどると植民地だったところがほとんどで、昔ながらの負の価値観や慣習が今も続いてしまっているんですね。生産に携わる人びとの生活はとても厳しくて、低賃金だし、きちんとした教育を受けてこられなかった人も多い。農園主にしても、買いたたかれたり、決まった相場でしか売ることができなかったりといった現状がありました。でも、スペシャルティコーヒーという定義ができて、質の良いものをつくれば適性価格で取引してもらえるという流れが生まれてきたわけです。
―井田さんは農園主の方とも交流されているそうですが。
仕入れなどで現地を訪れたり、農園主の方と関わるうちに、コーヒー業界が抱える問題をだんだん知るようになりました。
数年前にエルサルバドルの農園に行かせてもらったんです。農園主はまだ若くて、イケイケの兄ちゃんという感じなんですけれども(笑)、彼は自分の地域のことをすごく真剣に考えていたんですよね。自分の農園だけじゃなくて、産地全体のコーヒー豆をもっと売っていきたいと考えていて。そのためにも、自分たちがコーヒー業界でもっと際立った存在の農園にならなきゃいけないと思っていたんです。自分たちが注目してもらえたら、周りの農園も今まで以上にコーヒー豆を売っていけるようになるから、と。
奈良店だけで購入できるクロワッサン。メンバーができるだけコーヒーに集中できるようにと提供するフードを選び抜き、コーヒーとのペアリングも楽しめるクロワッサンのみに。
―考えていることが<ROKUMEI COFFEE CO.>のミッションにも通じていますね。
本当にそうですね。エルサルバドルのほかの農園では、敷地内に自分たちで学校をつくって、ピッカーさん(コーヒーの実を摘み取る人)の子どもをそこに預けられるようにしていたところもありました。子どもだけを家に置いておけないので、仕事に連れてきちゃったりするそうなんですが、そうすると、子どもが学校に行けなくて教育を受けられなくなってしまうんですね。その農園では、ピッカーさんだけじゃなくて、その地域に暮らす子どもも受け入れているそうです。
こうした取り組みは、昔からあったわけではないそうです。スペシャルティコーヒーによって、売上が立てられるようになってからなんですね。そんなふうに考えると、僕は<The Roast>も、スペシャルティコーヒーの価値をより多くの人びとに届け、さらには産地の人びとを支えられるチャンスになるんじゃないかなと期待しているところがあるんです。本気でスペシャルティコーヒーを広げていくのなら、自分たちだけじゃなくて、いろんな人や企業を巻き込んでやっていかなきゃならないと思っていましたから。
クロワッサンはすべて店内でつくられている。素材にもこだわり、奈良県産の小麦粉や米粉を使用。具をはさんだアレンジメニューもある。
僕はけっこう負けず嫌いなところがあるんで(笑)、<ROKUMEI COFFEE CO.>として、これからコーヒーの販売量をいかにして増やしていくかをめちゃくちゃ考えています。自己満足や自分たちの現状を維持していくだけでは全く意味がなくて、本当にいいものであれば、僕らが全量買い取って産地の人びとを支えていけるくらいの力を持たなければならないと思っています。
僕らが提供するスペシャルティコーヒーの味わいでお客さんにハッピーになってもらえたら、僕らもハッピーになれる。僕らがスペシャルティコーヒーをたくさん売ることができれば、産地の人びともハッピーになれる。こんなふうに考えていくと、スペシャルティコーヒーが持つ意義は、とても大きいものだと思っているんです。
井田浩司 IDA Koji
奈良県出身。1974年から続く家業の喫茶店
写真:井上美野 取材・文:菅原淳子